キャリアストーリー③(ディレクター 片岡信寿)

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ディレクター 片岡信寿

ジェイシーエルコンサルティングのディレクター。医療機器業界経験は20年以上。最初に入社した医療機器代理店が倒産。外資系医療機器メーカーに入社し、営業から営業マネジャー、地域営業部長まで務める。

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ジェイシーエルコンサルティング ディレクター 片岡 信寿です。

『 私のキャリアストーリー その③ 』として、3社目から現在の経験を紹介させていただきます。

 

その③ 『 46歳、新たなチャレンジへ! 』

 

スタートアップの会社で約12年間、営業からエリアの責任者、広域の営業部長まで経験させてもらいました。組織が大きくなることを体現でき、自分自身も成長させてもらいました。優秀なメンバーに支えられて、恵まれた環境で仕事ができたことに感謝しております。

幾度となく、自分のマネジメントとしての考えや、判断が間違っているのではと自問自答したこともありました。自分の問題を解決するのは簡単ですが、メンバーの問題をどう解決するかは難しかったですね・・・。

 

『 なぜ転職を考えたか? 

 

経団連 中西宏明会長の「終身雇用の見直し」発言や、トヨタ自動車、豊田章男社長の「終身雇用難しい」発言などにみられるように、、終身雇用はなくなり、大手企業がリストラをし、社会保障制度の崩壊や老後2,000万円問題、政府が打ち出した「生涯現役社会」など・・・

これからの不透明な将来をどう楽しく生きていくかを考えていました。将来は自ら能動的に形成していく必要があると感じていました。

そのタイミングで前々職からの旧知の仲である井口がJCLコンサルティングの代表に就任しました。これまでの自分の経験を最大限に生かし、リスクをとって経営メンバーとしてさらに事業を拡大し、そして新しく創造していきたい、と強く思い参画を決めました。

 

『 誰一人として賛成してくれない中、転職を決める 

 

転職を家族や身近な仲間へ相談しましたが、見事に全滅でした・・・。誰一人賛成してくれませんでしたし、「転職のタイミングは今ではないのでは」、ともアドバイスもくれました。

しかし最初からすべての反対やアドバイスは聞かないことにしていました。

 

なぜなら、転職には「自分が将来こうありたいという思い」があり、家族や親友であっても「その思い」を尊重してくれないかもしれないからです。

大きな変化は、大きなストレスを生み、人は変化を嫌うという性質を持っています今の自分の事を好きな家族や親友は、自分以上に「私が変わること」を恐れていたかもしれません。そのような場合、私が大きく変わりたいということに反対してくるはずであると思ってました。

これからチャレンジする方に伝えたいことは、変化を恐れないでほしいと言う事です。本当に恐ろしいのは現状維持で良いと思う事だと私は思います。変化こそがチャンスで、成功は不安や恐怖の先にしかなく、変化を恐れるのではなく楽しむ姿勢を持つことが大事だと考えます。それは企業に所属していようが起業しようが同じなのではないかと感じます。

家族へは、ずっと先の将来も見据えて、今以上の生活ができるようにするため、まだ体力のある時にチャレンジをさせてほしい、と頼みました。不自由な生活はさせないし、何も問題ないと自信をもって話しました。

(ダメだったときは、どんな仕事でもする覚悟もありましたし、また業界へ戻ってでも何とか稼ごうと思っていました。どこも採用してくれないかもしれませんが・・・)

 

考えてみれば、これまでの転職もすべて自分で決めてから決定事項を話していました。

結局は、チャレンジをしたことのない人のアドバイスは聞かないことにして、自分の中で決めていたように思います。

社長の井口とは、前々職からの長い付き合いで、お互いの良し悪しを理解している仲でもあります。また顧問の松本は、初めて会った日から、この人から何でも吸収しよう!と思いました。

 

『 新卒時代の固定給から再スタート! 』

 

2020年4月、緊急事態宣言とほぼ同時に都内へ転居。「こんな時に本当にいくの??」という子供達と妻を名古屋に残し、4月1日 人材コンサルタントとして新しいキャリアをスタートさせました。

給与体系はいろいろと相談しましたが、リスクをとって自分にプレッシャーをかける意味でも、最も固定給が少なく(新卒の初任給に戻りました)、リターンの高い給与体系を自ら選びました。

 

しかし、入社したとたんにコロナ禍で各社の求人がフリーズ。求職者はいらっしゃるが紹介先がない、という厳しい状況がしばらく続き、貯金がどんどん無くなっていきました・・・。

このような状況下、助けられたのはこれまでの医療業界24年の人脈でした。前々職からの人脈など、ほとんど連絡が途絶えていた方々へもリコネクティングをしていきました。

多くの方が、快く繋がってくれましたので本当に嬉しかったです。しかも10年以上も前にお世話になっていた方々に協力してもらえたり、そこから更に人脈を繋げてもらえたりもしました。当然、前職の仲間も協力してくれました。

求職者の方々も将来を考えてチャレンジしたい気持ちをもって相談されてきますので、そのお手伝いができることにやりがいを感じました。自分の経験が、オフラインで会ったことがない皆さんへのアドバイスに活かせることも、とても楽しく感じています。

 

家族へは、半年は給料が無くても何とか我慢して!と話してましたので、その間で結果を出そうと考えていました。社長や顧問も協力してくれておりましたので、少ない求人数の中でも何とか結果をだすことができています。

2020年12月現在、企業の採用活動もかなり回復してきました。今後は皆様に更なるご提案ができると思っています。

 

『 自分にとって一番大事なことは、挑戦すること 』

 

どんなに厳しく辛くなった時でも、「自分で決めたこと!」と自身を納得させて頑張るしかないですね。やはり自分にとって大事なのは、「挑戦すること」です。

何故、何も問題のないときに、ポジションとそれなりの年収を捨ててまでチャレンジしたのか?とよく聞かれますが、自分で現状を変えていく、変化して成長できる環境が好きなのかもしれません。

 

このような私の経験ですが、これから転職によって将来のキャリア形成を目指す候補者の方々にお伝えできることは多々あると思っています。今後、皆様の想いに応えられるよう頑張ります。

 

新しい出会いを楽しみにしております。

 

===ディレクター片岡のキャリアストーリー おわり===

 

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