キャリアストーリー④ 葛藤の数年。営業本部長の行く末とその未来 (代表 井口貴博)

この記事を書いた人
代表 井口貴博

医療業界専門エージェント、JCLコンサルティングの代表。医療機器の業界経験は20年以上。前職では外資系医療機器メーカーの立ち上げ時期に参画し、最終的には営業本部長を務める。

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さて、日々の業務が忙しく、大変久しぶりとなりますが自分自身の話を続けさせて頂きます。

 

葛藤の日々

営業本部長となり、おかげさまで、新製品や周囲にも恵まれ、順調に毎年の目標を達成し、しかも毎年二けた成長という領域内では異例の成長率を残すことができました。また営業員の離職率も低く、ビジネス的には非常に良い状況だったと思います。

一方で、当時の私は会社へのロイヤリティーそしてチームに対する意識が特に強く、恥ずかしい話ですが「チーム=家族の様な存在」と勝手に思っておりました。

それがゆえに「私のすることなら周りの皆はほぼ理解し納得してくれる」と、ある意味勘違いしながら業務を行っていたように思います。

また、今から思えばストレスコントロールやピープルマネジメントなどにおいて非常にレベルが低く、数字へのこだわりと仕事に対する執着からくる消化しきれないストレスを常に抱え、常に顔に吹き出物ができ、体調も良くなく、帯状疱疹にもなるような状態でした。

 

自分の将来についても継続的に悩みながらの日々が続いておりました。

営業本部長となり4,5年と経過していく中で、前回もお話ししましたが、企業人としての自身の将来についての葛藤も常にありました。6年目、7年目は毎年変わらない作業の様に仕事を行っており、自分自身の成長の鈍化、もっと言うと停止を感じていました。

悩む日々が続く中で、ふと、大学時代の友人と将来について語っていた際に、「俺は社長になってフェラーリに乗りたい!」とバカなことを言っていたのを思い出します。 しかし、内心では自分が医療機器業界で社長になることができないことを認めていたので、「自分はこの業界以外で何かできるのかな、、」と常に考えておりました。  

 

衝撃の日 ある日、上司に突然呼ばれ、営業本部長を降りてくれ、と言われました。

「えっ??」と思いましたが、他に選択肢がないこともその場の空気で感じました。色々と理由を聞きながら、その上司の前で大泣きしたのを覚えております。

 

仕事において業務中に大泣きしたのは3回目でした。

1度目は代理店時代にあるドクターに仕事に対して叱咤された際に流した詳し涙・・

2度目は自分のミスで他人に迷惑をかけてしまった時、医療従事者の方にフォローして頂き、有難い気持ちと同時に出た悔し涙・・でした。

営業本部長交代の理由は、世代交代の必要性やその他の理由もあったのですが、ここでは割愛いたします。ひとえに自身の能力不足、そして過信があったのだと思います。

その後の数か月間は、「自分が足りていなかった・・・いや、周りが分かっていない・・・」などと、なかなか自分の中で消化しきれず、思い出すとまた涙が出て・・・何回泣いたか数え切れません(笑)  

 

さて、大の大人が泣いてばかりもいられません。次に与えられた任務は、新規のプロジェクトである大型販売店との全国取引の責任者であり、大変やりがいのある且つ重要なものでした。

そしてその時期に、すべてを相談していたのが、現在は顧問で当時は株式会社ジェイシーエルコンサルティング創業社長の松本英嗣でした。

松本からは「とりあえず、新しい業務をやってみたら?それから決めたって遅くないだろ?」、というアドバイスをもらっていました。自分自身でもその新しいプロジェクトを成功させなければいけないという責任感はあったのですが、一方で自分の中に「いずれは辞めるだろうな」という確信もありました。結局、「代わりにやることが見つからなかった」のが会社に残った理由というのも事実です。

ただ、いざプロジェクトが始まると、絶対に成功させるという意地もあり、超ハードスケジュールで数か月業務にあたりました。  

 

転職を決意した、松本の5秒の沈黙と一言

さて、松本とは、年に一度程度は一緒に呑む仲でした。

私が営業部長を降りる数か月前に会った際に、「もう人材紹介は自分なりに結構やったし、他の事業もうまくいきはじめてるから、人材紹介事業の売り先を探している」と言っていたのをふと思い出し、新しい役職に就いて2か月後くらいだったと思いますが、松本と会って以下の様な会話をしました。

 

五反田の居酒屋にて ほぼそのままの文言(二人とも関西人)  

井口:「松本さん、そういえば会社って売れたんですか?」

松本:「なかなか売れへんな。たまに買いたいって話は来るけど進まんわ」

井口:「フーン、そうなんですね、、、 それってもし私が買うって言ったら売ってくれます?って言うか、、私がやったらうまくいきますかね??」

松本:「えっ、お前がやんの??・・・うーん・・・」

・・・約5秒の沈黙・・・

松本:「いけると思うで・・・」

井口:「えっ、ほんまですか?ちょっと真剣に考えてもらえませんか?」

松本:「おっ、おう。今度、ちゃんと話しよか!」

みたいな会話でした。

 

松本は、私が医療機器商社からボストン・サイエンティフィック社に転職した時の先輩です。

2年程度しか一緒に働いていませんでしたが、当時メーカー営業として実績を出せていなかった(キャリアストーリー 第2回参照)私の長所をいち早く見抜いてくれ、且つ仕事を教えてくれた人で、私の中では、何か迷った際の判断基準を教えてくれる「道しるべ」の様な存在でした。

その松本の、「いけると思うで・・・」という言葉は、当時、暗闇の中で悶々としていた私に、一筋の光を与えてくれました。

 

その後、松本も「お前がやるんやったら、俺も残ってサポートするわ」ということで、話はどんどん進み、超ざっくり・・・のプランを作り、会社に辞表を提出し、上司に自身のプランなど全てを話し合意を得て、担当プロジェクトが落ち着くであろう時期を退職日にして頂きました。

数年悩んだ末に答えが出たようでとても清々しい思いでしたが、妻と長女は大反対で残念ながらその場では説得できませんでした・・・。つまりは家族のピープルマネジメントもできず、転職は強行突破という形になります。

続く

 

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