キャリアストーリー② 憧れの医療機器メーカーへ転職 (代表 井口貴博)

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代表 井口貴博

医療業界専門エージェント、JCLコンサルティングの代表。医療機器の業界経験は20年以上。前職では外資系医療機器メーカーの立ち上げ時期に参画し、最終的には営業本部長を務める。

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さて、今回は医療機器販売店から転職して入社したボストン・サイエンティフィックジャパン社での経験について書きたいと思います。

 

「自分の営業スキルのなさを思い知らされ、会議中に泣く」

 

私の配属された事業部は、末梢血管内治療機器、脳血管内治療機器、人工血管という幅広い製品群を扱う事業部でした。

東京、千葉を管轄する東京営業課配属となり、緊張の入社当日、営業所で初めて会う上司となるマネージャーが迎えてくれました。ブルーのストライプのシャツに赤いネクタイをされ、いかにも外資系企業のマネージャーという感じの方でした。

同期入社で3つ年上の、透析メーカーから転職された優秀な方がいらっしゃいました。同期として比べられることが多く、ご想像の通り、私は「できの悪い方」でした

 

研修後、東京の東側の下町エリアと多摩地域担当となります。小規模施設が中心で担当顧客数が営業課で一番多いエリアでした。憧れの医療機器メーカー!まずは1日の訪問件数と面会ドクター数を目標設定し、とにかく朝から晩まで訪問を行いました。しかし、ドクターに面会したはいいものの、

  • 初対面でいきなりカタログ、デモ品を見せる
  • 一方的な説明を行う
  • 撃沈・・・

という今思えばとてもレベルの低い営業をしていたと思います。

また、当時アポイントは電話でとることが多かったのですが、空気が読めずおかしな時間に電話して、電話口で怒られたりもしておりました。つまりはメーカー営業のレベルに全く達しておりませんでした。もちろん売り上げも上がらず、まさに憧れと現実の違いを目の当たりにし、途方に暮れていました。

 

月に1回の営業会議は、テレビドラマによくある、できない部下が上司に追及されるというシーンそのままでした。マネージャーと1人の厳しい先輩に様々なことを指摘され、いつも会議では悔しい思いをし、先輩らのレベルについていけない自分に悔し涙を流したこともありました。憧れだけではだめだ・・しかしどうしてよいかわからず・・もがきながらもただ毎日が淡々と過ぎていきました。

 

しかし、この時期にアクションプランの作成と実行➡PDCAを繰り返し経験したこと、そして「数字を作る」という意識を叩き込まれたことは、後の営業に非常に役立っています。

 

「思いがけず巡ってきたチャンス。厳しい環境から多くを学ぶ」

 

そんな、悶々とした日々が3か月ほど続いた頃、当時の脳血管内治療の権威のドクターと、著名な末梢血管内治療のドクターの担当が空くことになりました。

症例も多く著名ドクター担当であるため体力的にも精神的にもタフさが求められる役割でした。ちなみに当時先輩であった現JCL顧問の松本は「断固拒否」したそうです(笑)。

そして、なんと私が両ドクターの担当に指名されたのです。

 

後から上司に聞くと、一生懸命やっている姿勢だけは見ていてくれており、「両方のドクターも受け入れてくれるだろう、仮に失敗しても新人だし挽回のチャンスはある」という考えだったようです。

 

脳血管内治療のドクターがいる病院は、当時は日本でも有数の症例数を誇り、会社としても非常に重要な顧客でした。相当なプレッシャーを感じましたが、「自分にできることは何か?」を常に考え、毎日必死で行いました。

そのドクターの手技中は常に現場は張り詰めた空気が流れていました。私も常にドクターの表情や手技の手元などを見て、「今何を考えておられるのか?」「次はどのようなことをされるのか?」「どんな質問が来るか?」を常に、まさに「全集中」し考えておりました。

 

オペ中以外で会話をしている時でも、「どのタイミングで話しかければよいか?」「この後どのような話の流れになるか?」「話のゴールをどこに持っていけば納得されるのか?」などを常に考えていました。この環境下、簡単に言ってしまえば「空気を読む」ということですが、【最前線の営業に不可欠な観察力や洞察力】を身に付けられたと思います。

 

もう一つ身についたのは【営業=会社の顔としての責任感】でした。

そのドクターのもとへは日本全国から難渋症例の患者様が集まってきました。それらの難渋症例に使用する自社だけでなく他社製品の準備や、その他様々な依頼が「営業=ドクターからすると会社代表」である私に来ます。

担当についた当初の私は未熟者で責任への考えが甘く、依頼を受けて関係者へ伝達して終わり、の状態になっていたこともありました。

 

突然、ドクターに「〇〇はどうなってる?」と言われ、「(心の叫び=あああぁぁぁぁぁ!) す・す・すみません・・・」と答えて背筋が凍る感覚、今思い出しても恐ろしくなります。

仕事を行う上で、自分の責任回避をしたい場面はあると思います。しかし、結局依頼されたのは自分であり、今思えば当たり前なのですが、「ドクターに対し、営業担当として依頼された仕事で何かあった場合は全て私の責任である」という事を学びました。

 

そのドクターのもとには、定期的にマネージャー、営業部長、事業部長、マーケティング部長などの訪問があり、私もそういった社内マネジメント層に顔を覚えてもらうことができ、同時に会社上層部の考え方や、対応の仕方などを学ぶこともできました。

また、そのドクターの「絶対に諦めない。常にベストを尽くす」というプロフェッショナルな姿勢や、さらには人生観も一緒にいる時間の中で自然に学ばせていただいたことにも感謝しております。

周囲からは、「大変だね」と同情めいたことも良く言われましたが、ついこの前まで途方に暮れていた私としては、こんなに幸せなことは無いと思って日々を過ごしていました。

 

さて、もう一人の末梢血管内治療の著名ドクターからは、また別の部分で勉強させて頂きました。

そのドクターも非常に製品に対して求めるレベルが高く、手技もプライドを持って徹底して行う方でした。また時に感情を出す方でしたが、非常に人間味のある方でした。

 

担当して間もないころは、製品・手技に対して多くの質問をされ、いつもその場で答えられず宿題として持ち帰っていました。後で聞いた話ですが、そのドクターは、分かっていることをわざと質問していたそうです。私は担当者として試されていたんですね。

 

私は、このドクターから愛想をつかされる=自身がこの会社で生き残っていけない、と思っておりましたので、頭が悪いなりに考え、先輩や本社のマーケティングに問い合わせを行い、必死で質問の回答を持っていくようにしていました。

訪問の際は、今日はどんなことを聞かれるか?といつもびくびくしているような状態でしたが、そんなことを繰り返していたある日、そのドクターから「君、めげないね」と言っていただいたのです。そして、その日以降何か認めてくださったような雰囲気を出してくれるようになったのです。

 

今思うと、その日からそのドクターから「営業すること」を初めて許されたのだと思います。

しかし、こだわりの強いそのドクターに製品を採用して頂くのは非常にハードルが高く、多くの営業マンが採用頂けずあきらめている状況でした。

各メーカーの製品群のなかで一定レベル以上の製品を使用していれば、大方の症例には同じ結果が得られます。それは多くの医療機器、また別の分野でも同じだと思います。しかし、そのドクターはこだわりが強く「症例ごとに自分の一番気に入った製品しか使わない」というタイプでした。

 

私は、脳血管内治療のトップドクターを担当したおかげで、多少は製品知識の自信もつき、当時の主力製品を自信をもってPRすることができるようになっていました。

そして「絶対に自社製品を一番多く使ってもらう」というスタンスで、正面から営業し、何度も製品トライアルをしてもらいましたが、ドクターからは、「ほら、井口君、この製品のこの部分がダメなんだよ!」と言われ続けました。

 

結局その主力製品は「特定の症例のみで使用する」ということで採用して頂いたのですが、対応可能な症例でも使用して頂いたり、別の製品をいつか使いたいケースが出た時のために、とりあえず採用はして頂けたりもしました。

その間、やはり質問事項などには迅速に正確に答えることは継続していましたし、そのドクターの行っている治療を他科のドクターへ啓蒙活動したこと等を評価をして頂いたのだと思います。

結論を言いますと、このドクターへの営業経験からは、当時の私なりに【営業の可能性と限界】を勉強させて頂きました。

 

この末梢血管分野のドクターと先の脳血管内手術のドクターを担当させて頂き、メーカー営業としての基礎が入社2年ほどで築けた非常に貴重な時期でした。

その後、営業として更に、競合他社からシェアを伸ばす、啓蒙活動による症例数増加、など多くのことを、この事業部で学ぶことができました。

 

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