キャリアストーリー③ 営業組織立ち上げの外資系医療機器メーカーへ転職 (代表 井口貴博)

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代表 井口貴博

医療業界専門エージェント、JCLコンサルティングの代表。医療機器の業界経験は20年以上。前職では外資系医療機器メーカーの立ち上げ時期に参画し、最終的には営業本部長を務める。

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JCLコンサルティング代表の井口貴博です。前回よりかなり間が空いてしまいましたが、今回は、自身のキャリアにおいて大きなターニングポイントとなった営業組織立ち上げの外資系医療機器メーカーに参画し、勤務していた時期のことを皆さんに共有させていただきたいと思います。

 

家族に反対されながらも、売り上げゼロの営業組織立ち上げ企業へ転職。苦しくもそれ迄得られなかった様々な経験をし、成長を実感する。

ボストン・サイエンティフィック社にて、順調な日々を重ねていましたが、上昇志向が強かったにもかかわらずマネージャー昇格も叶わず、自身のキャリア構築のため、中期的な視点で転職を考えることが多くなりました。

今振りかえると、営業成績は良かったですが、協調性やリーダーシップが欠けていたのだと思います。

そんな中、ドイツの植込み型ペースメーカを中心とした循環器向け製品を取り扱う企業である「日本ビオトロニック」社(現在のバイオトロニックジャパン株式会社)が、国内で営業組織を立ち上げるタイミングでお誘いをいただきました。それまでとは疾患領域が違い、扱う製品の経験もありませんでしたが、自分を試すチャンスだと思い2つ返事で入社することとなりました。当時、妻や周囲からは猛反対をされましたが。

入社当時は、社員が全員で10名程度。麹町の小さなオフィスに5名の営業が集まり、3世代ほど前のPCIのバルーンカテーテルとガイドワイヤーの勉強会を2日ほど受け、現場に出ました。

 

ここからが地獄の始まり・・・でした。それまでとは違い、顧客となるドクターにも販売店担当者にも来る日も来る日も新規営業で頭を下げる日々が続きました。

「今更日本で立ち上げても大手企業に対し勝ち目はない・・・」と冷めた視線で見られることが多かったですが、それが逆にモチベーションとなっていました。

一方、モチベーションも売り上げが上がらないと持続しないもので、入社6か月くらいまでは、正直辞めたいと思うこともしばしばありました。

しかし、自分自身で決めたこと。「もう辞める!」とまで思い詰めないように思考回路にブレーキをかけ、今まで行ってこなかった様々な手法を取り入れ営業に励みました。

2か月間売り上げが0でしたが、3か月目に販売店の協力で実績が出て、その後徐々に数字が伸び大きな自信となりました。

社会人として働き始めて最も「販売できた」喜びを実感し、製品を使用していただくことへの感謝の気持ちや、営業として熱意の大切さを知っただけではなく、顧客が製品使用に至るニーズや過程を徹底的に探りそれに沿った営業を実践する事など、今まで持ち合わせていなかった営業スキル獲得することができたと思います。

その後、植込み型ペースメーカや植込み型除細動器などの販売が始まり、「遠隔モニタリング」という、患者様に植え込んだ機器のデータを遠隔で医療従事者の方が管理できる画期的なシステムを他社に先駆けて導入しました。それがきっかけとなり販売が急速に増え、マーケットにおいてのプレゼンスを高めることができたと思います。

 

人材獲得の難しさと、人材の重要性、可能性を知る。

入社当時は、東海北陸エリアを1人で担当しておりましたが、北陸に優秀なマネージャーが入社し、私は中部地区のマネージャーとなり少しずつメンバーを増やすことが出来ました。

不整脈の植込み型機器は、患者様の生命を左右する重要な医療機器であり、営業や技術サポートには経験値が非常に求められます。多くの人を誘い、面接を重ねて、優秀な人材も確保することができましたが、一方で組織に合わない方もおられ、人材獲得や人材の見極めの難しさを身をもって経験しました。

当初は経験者は誘ってもなかなか入社して頂けませんでした。しかし経験者ではなくとも、仕事や能力への向上心や資質があれば、キャッチアップの時間はかかるが、結果的には優秀な人材へと育成が可能である事を学びました。昨今の医療機器メーカーの営業採用においても、競合メーカーの方を強く求める一方、未経験人材を積極的に採用される企業も多く存在するのも頷けます。

 

30代後半で営業部長に。しかしその先のキャリアについては何も考えていなかった。

私は、今では求職者の皆様に、「将来のビジョンは?キャリア構築についてどう考えていらっしゃいますか?」などと、あたかも自身が実践してきたかのようにお話をしておりますが、実は自分自身の反省のもとにお話をしています。振りかえると将来のキャリアや展望を考えたことは、ほぼありませんでした。

何を考えていたのかというと、一から皆で作った会社のシェアを伸ばすこと、その為に自分が思う戦略を考え戦術に落とし込んで実践する事、それを全国に広げる為に自身が影響力のある立場になるということでした。

チームの成績も順調に伸び、当時の営業本部長から関東広域のマネージャーの打診がありましたが、自宅を購入して直ぐの時期だったこともありお断りしました。しかし、その翌年に再度打診を受け、【これを断ると出世の機会が無くなる・・】と思いその場で了承しました。

当時の私のマネージメントスタイルは現場同行でコーチングを行うことが多く、リーダーの延長のようなスタイルでしたので、広域マネージャー業務は苦労しました。営業企画の方やマーケティングの方々の協力、連携にて、色々と勉強しながら試行錯誤で役割をこなしていました。

トントン拍子で30代後半に100名ほどの組織の営業本部長のポジションに就任し、新たなチーム編成や評価の仕組みづくりをはじめとした人事制度に関する施策も多く実行しました。それらは現在の仕事にも活かせていると思います。

 

キャリアについて真剣に考えた。しかし答えが出ず焦り、悩んだ40代前半。

営業本部長となり3年ほど過ぎ、40歳を超えたあたりから自身のキャリア、将来を考えるようになりました。

当時の上司からありがたいことに英語を勉強するように強く勧められ、マーケティングに関する事も個人的に勉強し、事業部長の立場、将来的には企業のトップに立つという事を想像するようになりました。

しかし、英語は学習の優先順位を通常業務の先に持ってくることが出来ず、結局上達しませんでした。また、周囲との人間関係も実情よりもうまくいっていると過信していた時期であり、今振り返ると「本当に自分に足りないものが何か」をしっかり認識していませんでした。

一方、営業部長となったあたりから本格的に始めたゴルフをきっかけに多くの創業社長の方々と話す機会が増え、彼らのバイタリティーや充実感への憧れが増していきました。

しかし、「20年以上にわたり医療機器企業3社でサラリーマンとして職務をこなしてきた自分に何ができるか」と考えても何も思い浮かばず、将来の不安を感じ、焦り、ただ考える日々が続いていました。

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