女性のキャリア形成について私が思うこと

この記事を書いた人
石田 真美子

診療放射線技師として10年間病院勤務後、医療機器メーカー3社でマーケティングや営業技術を経験し、現在にいたります。
いろいろなところでお世話になったので、たくさんの人々と出会えました。
その方々のおかげで、今も充実した毎日を過ごすことができています。
現在は、臨床経験、メーカー勤務経験、培った人脈を活かして活動させていただいております。
よろしくお願いいたします。

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JCLコンサルティング シニアコンサルタントの石田真美子です。今回私のコラム第一弾として、女性の生き方、働き方について私が経験してきたこと、思うことを書かせていただこうと思います。“女性の”、としていますが男性も含め現代の働き方について考えてみましたので、お時間ありましたら是非ご一読いただけると幸いです。

弊社で活動中のコンサルタントは計6名。男性4名、女性2名で、全員が医療機器メーカーでキャリアを積んできた人たちです。同じ業界の経験があることもあり、話が合いますし、みんなでいるととても楽しいです。

男性陣はみんな、ご家庭を持たれ子育ても経験されています。そして女性陣はというと、2人とも独身を謳歌しています。結婚できないからバリバリ仕事するしかない・・・わけではありません!

 

そもそも、今の時代は男性、女性、心が男性、心が女性・・・など性別が単純に2通りにもできない世の中になりました。また、そういった配慮もメディアでは常にされるようになりました。もう「男性は家庭を支えるために仕事をする、女性がそれを支えるために家庭を守る」という昭和の固定観念は絶滅しつつありますが、雇用する企業の立場としては今が本当の過渡期なんじゃないかと私は思っています。

 

今から20年前の2002年、私は地元熊本で新卒の就職活動をしていました。診療放射線技師として、大病院に行きたくて熊本市内の病院をいくつか受けました。

その就職活動中、応募先の病院について大学の先生と話していると、とある病院について「あそこは女を取らんからやめとけ」と言われました。

「は?なんで?」と突発的に思った私は、「それでも受ける」と即答しました。

結局、私のクラスメイトの女子は全員辞退して、応募したのは約20名の男子、女子は私1人。集団面接でももちろん私が女子1人でした。その集団面接の場で、ずっと抱えていた違和感を私は病院側にぶつけました。院長、理事長、副理事長、技師長に対し、「こちらは女性を採用しないと聞きました。女性が不利になる理由をお聞かせください。」と、20歳の私は堂々と言い放ってしまいました。今考えると恐ろしい。技師長は「いえそんなことは・・・」ともごもごされ(結果的には大変お世話になったので思い出すと申し訳ないですが)、結果私は多くの男子を押しのけ、1人の採用枠を勝ち取りました。

そこは整形外科専門の病院で、入社してみると12名の在籍放射線技師の中、私はやっぱり女性1人でした。外傷の急患が入ったときなど「ここは力が要るけん石田はあっち行け」など言われようものなら全力で反抗していたのを思い出します。業務上も他の男性メンバーに負けないよう全力で頑張っていました。

 

ただ一方で、20代の私は“女性は結婚して子どもを産んで育てるのが幸せだ”、というレールが頭から離れず、そこに迎合しなければいけないという固定観念がありました。

私は、仕事が何よりも好きでした。仕事で誰かの役に立ったり、頑張った結果業績で誰かに勝ったり、というのが何よりも好きでした。それは今も変わりませんが、その頃の私は、それが本当は女性には許されていないことなんだ、とどこかで思い込んでいました。

そこで一度結婚し、私が考えていた女性のレールに乗ったわけです。

 

結婚式、披露宴も大々的にやりました。ドレスを着て、披露宴では完全に主役で、みんなに祝福されて、とても楽しい経験でした。

しかし実は、式の準備の段階でさっそく違和感が発生していました。式の流れをプランナーさんと打ち合わせしていて、当然のように「ここで新婦からご両親に感謝のお手紙の朗読になります。」と言われ、「は?なんで?」が再び突発的に脳裏をよぎりました。

「新郎も新婦もかかっている学費も同じだし、受験も同じように受けてきてるじゃん。なんで新婦だけが“ありがとうさようなら”的なお手紙を自分の両親に読まないといけないの?そもそもなんで女性だけが結婚したら名字を変えないといけないの?」

式当日は楽しく過ごし、いざ結婚生活が始まりました。

案の定、仕事を何よりも優先したことによって、当時の夫から不満を言われそれがストレスになっていきました。これ、「仕事と私とどっちが大事なの!」って言うかつての女性のセリフと一緒です。

元夫にはほんとに申し訳ないですが、これが私でした。

要は、男性だろうが女性だろうが自分らしく生きていけばいい、ということなのです。

これが2000年代の話。2010年代から私はそれまでの自分を振り切り、一人になり東京に出て医療機器メーカーでのキャリアが始まりました。

 

ここから、仕事一辺倒の生活が始まりました。ちょうど30歳になった頃でした。

それまでは熊本・沖縄の病院勤務でしたから、赤坂TBSの隣に通勤なんて当時の私にとっては夢のような世界でした。私は結局、熊本の病院の面接で嚙みついた時から、一貫して仕事が大好きなんです。今、そんな私を私自身が受け入れられるようになったのは、自分のこれまでの経験に加えて、時代の流れもあると思います。もう結婚しなきゃ女は幸せじゃないとはちっとも思いません。

 

ここまで自分の経験ばかり書いてしまいましたが、逆に考えると男性側も「仕事を頑張って稼いで、なんでそのうえ家庭を守らなきゃいけないんだ!」と考えている人もいらっしゃると思います。

今は2020年代になり、「男性はこうだ、女性はこうだ」という固定観念は古いものとされるようになりました。ただ、企業としてはその時代に追いつく体制を整えているところだと思います。

私は、ここ10年間外資系医療機器メーカーで働いて、病院勤務時代よりは価値観が広がりました。子どもを育てながらもビジネスマネージャーとしてバリバリ働く女性、私のように仕事最優先の人生を選択し1人で頑張る女性、育休を取ってお子さんに夢中な男性、誰もが仕事で活躍してキャリアを積んでいます。

私のいとこの瞳ちゃんは仕事をしながら、シングルマザーとして2人の男の子を育てています。親族の誰もその子たちのパパの素性を知りません(何かあるんだろうな)が、子どもたちは2人ともとても幸せそうで、いい子に育っています。

“こうでなきゃいけない”という固定概念は一番可能性を潰してしまう要素である。それは誰もがわかる世の中になりました。

雇用する企業側は、これまでもこれからもDiversity(多様性)がより求められる時代になります。本当の平等にもうすぐ追いつきます。女性は今がチャンスかもしれません。

もう少しすると、男性女性なんて誰も気にしない時代が来ると思います。

 

なんで結婚したら女性が名字を変えないといけないのよ!と、私は今でも思っていますから。

 

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