診療放射線技師、私のこれまでとこれからのキャリアを考える ~病院からメーカーへの転職活動、二次面接編

この記事を書いた人
石田 真美子

診療放射線技師として10年間病院勤務後、医療機器メーカー3社でマーケティングや営業技術を経験し、現在にいたります。
いろいろなところでお世話になったので、たくさんの人々と出会えました。
その方々のおかげで、今も充実した毎日を過ごすことができています。
現在は、臨床経験、メーカー勤務経験、培った人脈を活かして活動させていただいております。
よろしくお願いいたします。

石田 真美子をフォローする

JCLコンサルティング シニアコンサルタントの石田真美子です。今回のコラムは、私のこれまでのキャリアを振り返るシリーズの第四回です。前回から、沖縄でのメーカーへの転職活動詳細を書かせていただいています。今回は一次面接通過後、沖縄での二次面接について書こうと思います。特に医療機器メーカーへの転職を考えている医療従事者の方、医療機器メーカーで勤務されている方、医療業界のリクルーターの方等には、“こんな人もいるんだな”と思っていただき、ご参考になれば嬉しいです。お時間ありましたら是非ご一読いただけると幸いです。

 

医療機器メーカー初応募、初一次面接は、ケーシー(技師が着る白衣)を着たまま、勤務中に骨密度検査室で1人電話面接を受けました。

東京弁(共通語)を話す人との会話が難しく、緊張しすぎて何を話したのかもよく覚えていません。東京に憧れてはいるものの「地方の病院の技師の私には、遠い世界なんだ」と実感させられたのを覚えています。

 

しかし、そんな傷心の私にエージェントの方から連絡をいただきました。(弊社顧問の松本さんです)

「一次面接通過です。二次面接は、沖縄で実施されます。月曜か金曜で候補日をください」

 

こんな田舎者の私のために、東京の医療機器メーカーの人が沖縄まで来てくれるの?!

きれいな建物とかないけど大丈夫?!

(沖縄の皆様すみません。当時住んでいたところ周辺には年季の入った建物が多かったので・・・その心配の前に面接の準備をしろという話です。)

 

指定されたのは、那覇空港近くのホテルの会議室の一室。面接当日は朝からそわそわしながら職場に行きました。そして早々に仕事を切り上げてスーツに着替え、愛車の黄色いMR-Sでそのホテルまで向かいました。

心臓が爆発する!!と思いながら会議室に入ると、想像していた通り年季の入った壁とパイプ椅子と長机が目に入りました。部屋が広いので、私の椅子と面接官の距離が遠い。

沖縄の海に沈む夕日を背景に、電話面接を実施してくださった人事担当の方と、後の上長となるマネージャーがお二人座っていらっしゃいました。

 

人事担当の方から、電話面接の御礼を述べられ、よくある「それでは自己紹介をお願いします」という切り出し。

「はい、石田真美子と申します。診療放射線技師として、熊本の病院で勤・・・」

「あ、もうそういうの大丈夫だから、そこは飛ばして聞きたいこと聞かせてもらうね」

私のまあまあ練習して用意しておいた自己紹介は、早々にマネージャーから遮られ、ほぼ名前を名乗っただけで終了しました。

 

ええ?!!やっぱり東京の人って頭がいいから、作ってきた文章とか聞いても無駄だと思われるんだ!!

ありきたりでおもしろくない人間と思われたんじゃないかという不安、何か見透かされているような恐怖、面接が始まって早々、なんとも言えない感情が私を支配していきました。

 

そしてそんな私に対して、マネージャーから発された次の言葉は、

「本当にこの沖縄の青い海と青い空を捨てて、東京に来れますか?」

でした。

私はリッチマン、プアウーマン(当時の月9ドラマ)で上京願望を鍛え上げていたので、そこだけは自信がありました。私は東京のオフィス街で働きたいんです!!

間髪入れずに真顔で「はい」と答えました。

最初に自信のある質問を投げかけてもらえたことで、私は緊張もほぐれ自分をその場に取り戻し、終始普通に話すことができたんだと思います。

 

造影剤のアプリケーションですので、造影検査の経験や知識についていくつか質問されたと思いますが、記憶に残っている質問は、「論文を読めますか?」でした。

この質問は、造影剤アプリケーションのポジションに特有のものでした。薬剤の効果や副作用の説明・プレゼンテーションは必ずエビデンスに基づく必要があります。論文が読めないと仕事ができないのです。質問の意図は、「論文が何のためにあるか、どこを読まなければいけないか理解していますか?」でした。論文は必ず背景・目的があります。その目的の答えを導くために、患者の予後を追跡したり、実験したり、得られたデータの統計学的な検定を行ったり。その結果、○○であることは言えるから、□□であるということが示唆される。というように、必ず論文には目的と、そのための検討から得られた結論があります。それを、理解して論文を読んでいますか?という質問でした。

 

…で、そんなことを知る由もない私は、「はい、読めると思いますが…」と自信なさげに答えました。英語が分かるかって聞いてるのかな?英語の論文読んだことはあるけどな…。

当時の私には、「論文読むだけでなんとなく勉強した気になってるだけだろ!」と後ろからツッコミを入れたくなります。本当に恥ずかしいです。

その後も論文の理解について質問が続きましたが、結局私には意図が通じないことが分かったんでしょう、「まあいいや」と笑われてその質問は終わりました。

 

造影剤のアプリケーションなので、造影剤や造影理論についての知識に関する質問もありました。もちろんそこは勉強して面接に臨みましたが、学会発表などをするレベルでもないので、いわゆる普通の放射線技師のレベルだったと思います。これも少し恥ずかしい。

最後にされた質問が、もう一度

「本当に沖縄のこの青い海と青い空を捨てて、東京に来れるの?」

でした。

私は、“もう言ったじゃないですか”という笑顔で「はい!」と最初より元気に答えました。

「これそんなに重要なことなの?そんなことでいいの?」と内心思いながら、そこで二次面接は終了しました。

 

結果二次面接は通過するわけですが、始めの緊張状態が続いていたら危なかったのではないかと思います。冒頭びっくりしましたが、結果冷静に会話のやりとりをできたことは本当によかったです。

臨床知識や技術レベルは、ずば抜けて高いわけではなかったですが、質問の意図がわからないときは正直にきちんと理解して自分の答えを出せるまで聞き返しましたし、「自分に今足りない部分は○○だから、□□をやって今後身に付けていく必要があります」など、日々思っていることを具体的に、落ち着いて“普通に”会話をすることができました。

そしていよいよ、人生初のひとり東京の旅(面接です)に出ることになります。・・・次回へ続く。

 

医療機器転職 TOPへ

転職サポート登録

登録前のご相談

タイトルとURLをコピーしました